富野道
 
インタビュー構成:氷川竜介、藤津亮太 収録日2001.10.22
──富野監督はTV版の製作記者会見で、∀の舞台を20世紀初頭を思わせる世界に設定した理由を「その時代に生きていた人はヴィヴィッドだったかもしれないから」と説明されました。それは、当時の新興国アメリカのイメージとも重なりますね。
富野 アメリカという土地は、映像のエンターテインメントを前提に考えていったとき、かなり自由度がききます。それは前回述べた通り「多様なものをひとつにする」という国是を持っていたからです。だから、アメリカを舞台にするのは、とても自然のなりゆきでした。中南米の国々が、ヨーロッパ人から見れば同じ新大陸だったはずなのに、なぜユナイテッド・ステイツにならなかったのかという話も、最近、放送大学で勉強しまして(笑)、ものすごくよくわかってきたこともあって、『∀ガンダム』はアメリカで間違っていなかったと思いました。


ロランが住むビシニティの町。
町の中心には成人式の御輿小屋がある。
 それは、君主制や大土地所有を容認する封建体制が中南米の国に持ち込まれて、旧大陸そのままの手法で入植した白人たちの権利を、果てしなく認めていく行為があって、それが破綻した延長に中南米の現在の国勢があるわけです。それに対し、アメリカは……ビッグトレイルって言いましたよね、西部開拓史の時代に幌馬車をスタートさせて、ここからここまでは自分の土地だって宣言して売ったという話があります。もちろんこれは、ネイティブ・アメリカンにとってはとんでもない話なんだけれど、旧大陸で食えなくなって新大陸に行ったイギリスの中産階級の人々が、本国で貴族の行為を目の当たりにしていたからこそ大土地所有を認めず、結果として封建制を敷く必要がないと気づいたのが、ビッグトレイルの一番のモチーフだったらしいんです。そういう意味で、ユナイテッド・ステイツは南米に比べて極めて理想論的なんです。何度も言いますが、ネイティブ・アメリカンとの整合性の問題は残りますよ。でも、少なくとも旧大陸的な考え方を移民たちが捨てたことで、それが人々の活力になっていって、近代資本主義や近代の国家論を考えていくことにつながったわけです。

 だから、『∀』の舞台もアメリカで間違ってはいなかったんだけれども、ただ、これから先の『∀ガンダム』を考えたとき、ガリアの土地……つまり今で言うヨーロッパ大陸の物語も考えたいと、今でもまだ思っています。なぜかというと、人のコミュニティを再構築していくために何が必要なのかを、ずっと考えていきたいからです。そうしたとき、旧大陸のことも、やっぱり必要なんです。これは、本当に死ぬまでにやってみたいと思っているテーマ論になっています。

──土地の問題で印象的なのは、『地球光』の中に出てくるムーンレィスの「2000年前の故郷」というセリフで、アメリカの中東政策と重ねると、非常に意味深く聞こえてくることですね。
富野 それは決して偶然ではないです、全部予定です。ただ、共通の言葉を持っていなかったから、物語の中で展開して描いてみせていた、ということなんです。今回の同時多発テロ以後の緊張があったために、映画化にあたってそれがものすごく簡単に言えるようになったから、助かったという部分もあります。先見性があった、という言い方もあるんだけれども……そういうことじゃないですね。個々の問題だけを、一つずつ特化して考えていく方法では、なにも見えてこないから、『∀』では一度視野を引いて世界を俯瞰してみようと思ったのです。そうしたら、「ああ、やっぱりそういうことだったのか……」と納得できたということなんです。

 『∀ガンダム』に関しては、宗教的なものを触るような行為も、意識して一切やめました。あくまでも人の情の問題と、知恵の問題の範囲に収めました。宗教的なるものには、人の行動様式に与えるとても怪しいものがあって、今はそれは触っちゃいけないと思っていました。自分自身の心のありようにしても、宗教ではない方向で突破口を考えていた時期が、10年ぐらい前から間違いなくありました。ニュータイプの部分だけを考えていくと、どんどんそっちに……つまり宗教的になっていっちゃう、ということです。そうじゃないところに『∀』を持ってきたことは、作品として間違いなかったと言えますから、『∀』から考えて欲しいのは、人の根本はどこにあるのか、というようなことになると思います。

INDEXPREVNEXT
このコラムは劇場版∀ガンダムwebに掲載されたものです。


© SOTSU・SUNRISE
注意:内容および画像の転載はお断りいたします。お問い合せ先はこちらをご覧ください。