富野道
 
インタビュー構成:氷川竜介、藤津亮太 収録日2001.10.22
──『∀ガンダム』は故郷に帰る人々の話ということで、土地への思い入れのようなものが強く感じられたんですが……。
富野 それについて、思ったことがあります。今のアイルランド問題って、海外に報道されるときには宗教戦争みたいな言われ方をしていますけれども、地元ではそんな宗教戦争なんて格好のいいところに、絶対に話をスライドさせてくれるなって言ってるらしいんですね。隣のやつが殺されたから、仕返し、怨念返しをするって構造の方が、とても強いらしいんです。だから実は、我々が地縁みたいなものをフラットに国家の中に統合していくシステムを持てなくなったところに、一番の問題があるんじゃないか、と思うようになりました。

 それに関連して興味深い話もあるんです。インドでデジタル産業が盛んになって、そのおかげでパソコン技術者がカーストに関係なく出世できるようになって、制度が崩れていても、まだ「出身地」だけは残っているんだそうです。なぜかというと、インドの新聞には結婚相手を探すかなり紙面が大きなコーナーがあって、職業と年収だけで伴侶を求むというと漠然としすぎているということで、どうしても出身地の記載が必要なんだそうです。地域によって、出身地によってかなり人のイメージが分かるようなのです。

 こんなことからも、土地を通じた縁のような人間関係は、当分は取っ払うことはできないと思うんです。やはり人は暮らしを立てていくとき、ふるさとのような人が寄るべき最低限のものが絶対に必要だということなんですね。では、寄るべきふるさとが戦争や差別を生んでいるのかと言えば、そういうことではなく、ふるさととは今流に言えば「アイデンティティ」つまり独自性の根幹だということなのですから、これは取り外すわけにはいかないのでしょう。

──『∀ガンダム』では、ロランはふたつのふるさとを抵抗なく持ちましたよね。月にも故郷はあるし、ビシニティの村も大好きでしたし。

ロランは月に向かって呼びかける。(第1話)
富野 それは、『∀』というお話のキモでしたね。それは、ロランがスポッと感情移入できる対象っていうものを手に入れることができたからなんです。そういう意味では、ロランは一種のオタクなんですよ。単純に「尊敬するディアナさまと憧れているキエルさまを、見分けられなかった僕はなんてバカなんだ」って言っちゃうような子なんですが、「いや、バカじゃないんだよ」って言ってあげたい。人格と肉体を持ったものに、自分の憧れや尊敬を見つけて、自分を賭けることができて一生を過ごすことができたら、それはいい暮らし方だと思いますね、本当に。

 この部分だけをうかつに取り出すと、「だから愛は尊いのよね」って言い方も出てくるかもしれませんが、「愛」っていう……特に近代以降に使われている「愛」とこれは違うと思います。尊敬と憧れができる対象を手に入れたということは、ロランが悟性の寄るべきもの、頼れるものを発見できたということなんですよね。そういうものを発見できる感性を持つのが、僕は一番大事なことなんじゃないかと思うんです。

 結局は「隣人を大切にしましょう」ってところに来ると思います。その隣人が殺されたときに怨念返しをしたくなるのも、率直に正しいとも思えるけれど、そのとき問題になるのは、怨念返しをすれば、そのまた怨念返しが来るということです。だから、怨念返しを乗り越えなくちゃいけない、乗り越えるための葛藤が起こるわけで、怨念さえ捨てなくちゃいけないところまでいくような気がしています。

 でも、その解決はどうやら宗教にはなさそうだから、もっと違う何かを見つけなければなりません。広く存在を認めるといった心のありようを、コミュニティと個々の人びとが手に入れていくシステムを、もう一度2〜3百年かけてでも構築していくことが、我々にとって一番大事なことなんじゃないのかな、と思います。『∀』では、そのような人の心の骨幹に必要なものは何かを考える根っこを示したつもりです。

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このコラムは劇場版∀ガンダムwebに掲載されたものです。


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