富野道
 
インタビュー構成:氷川竜介、藤津亮太 収録日2001.10.22
──いまお話しいただいたことと、『∀ガンダム』の作品の関係をもう少しうかがえますか。
富野 『∀ガンダム』という作品は、物語は基本的にソフトウェアだという意識でつくっています。だけど、この意識も実を言うと、教義になった瞬間に物質化する──つまりイズム、イデオロギーのようなハードウェアになるとも思っています。物語はソフトウェアなんだから、もっとグチャグチャにしても良いんだということをアピールしつつ、エンターテインメントに仕上げていって、自分固有の暮らしのための認識を立ち上げていくことがやりたかったんです。


はじめての交渉の場で地球人とムーンレィスは争う(4話)
 宗教の教義から始まるものがない時代についに突入したとなると、今までの歴史の中ではそういう思考は、人類は持っていなかったと思うんです。新しいシステムをつくるための、とても大変な作業が、これから2〜300年かけて始まるんじゃないかと思います。そのための認識を物語を通じて高めていって欲しいですね。

 基本的に、人口比に比例する認識論の問題というようなものがテーマなんですよ。たとえば世界人口がせいぜい1億ぐらいであれば、多少民族的なエゴであっても世界は統治できるはずです。ところが60億ぐらいでこの問題を、従来のイデオロギー、宗教的なものの認識論で語ろうとするのは、根本的に間違いだと思うんです。こういったところに、現代人の大多数が考え落ちをしている部分があるんじゃないかと思いますね。

 一方で、善人の量が増えてくれば、もう少し良い認識論も高まるとも期待しています。だからこの時代や先日のテロ事件を契機に、いろんな問題が飽和点に達したんだということを出発点にして、物事を考え始めて欲しいのです。それを、戦術論とか宗教的な統治論に話を落とすのは、ダメとかではなく、せっかくの機会がもったいないことじゃないのかな、とも思います。

──それを考えると、『∀ガンダム』の前半は、ほのぼのしていると言われて来て、そういう部分も確かにあるんですが、今回映画としてまとめて観ると、かなりアクチュアルなところに触れた作品だと思いました。
富野 そう思いますね。今回、ロランは僕が作った主人公の中では、一番良いキャラクターかも知れないと、最近思いはじめたところです。それは先ほどのふたつの故郷を持ったということもありますし、アニメがある種消費されるべきものを次々と生み出さなくちゃいけないという構造の中での位置づけもあります。

 ものすごく図々しいかもしれませんが、消費なんかさせるものかっていう思いがあるんですよ(笑)。全部残させたい。それで残すときに、なにを残すかというと、それは個人のエゴではないはずで、それは百万人、1億人の思いじゃないでしょうか──こういうところに、話を持っていければいいんだけど、これができれば神様ですよね(笑)。

 だけど、ものをつくり、物語を大勢に向かって芸能として、お楽しみで語るということは、そんな神的な行為ができる可能性を持っていると思ってます。それはすごいことだと思いますね。

 『∀ガンダム』という作品は、その点かなりうまくいっているかもしれない、すごいなと見返して思っています。今回の『地球光』でも、ディアナが出てくるまで長いと言う方がいらっしゃって、1本だけ見ていたらその意見も判るんです。が、2本セットで考えれば、あの冒頭がないと絶対に成立しない部分があるんです。

INDEXPREVNEXT
このコラムは劇場版∀ガンダムwebに掲載されたものです。


© SOTSU・SUNRISE
注意:内容および画像の転載はお断りいたします。お問い合せ先はこちらをご覧ください。