富野道
インタビュー構成:氷川竜介、藤津亮太 収録日2001.10.22
──着替えの話題で、映画になってもしっかり残っていたローラ・ローラ、つまりロランの女装について、もう少しお聞きしたいです。全体をあれだけ刈り込みながら、「よくこれが残っているな」と思ってしまったものですから。

ロランの貴婦人修行(第7話)
富野 実を言うとあれも欠番候補で、第一段階ではロランの貴婦人シーンは外す予定でした。男の子が女を演じられるというのは、ひとつの仮面をかぶることなんですが仮面をかぶるだけでも性格は変わるんですよね。確かメグ・ライアンが、本当に役作りに困ったときにはメイクアップを極端にするか、役に対して極端にやると引き出せていくものがあると語っていました。だからファッションやメイクアップを変えるだけでも、皮膚感とか人の悟性のありようが変わる──そして人というものは、そういう能力を持っていると思いますから、『∀』では必要のないシーンだと考えたのです。

 『∀』はロボットものですから着替えの方が目立つとしたらモビルスーツという一度性能が決まったらそれっきりという欠点が見えてしまうかもしれません。しかし編集作業をしていって、興味の中心が着せ替え話の方に次々と降りていったのはすごく意外だったけれど、映画を見に来る普通の人は、着替えを見ている方がドラマをわかりやすく理解できると思うようになったのです。

──確かに一般的興味は、そっちかもしれないですね。
富野 着替えに行くプロセスはあの映画上、実を言うとないんですよ。そこは当初計算していました。映画の持つ機能は、あるシーンにいくときに、細かな手順を踏まなくても乱暴なホップ・ステップ・ジャンプが許されます。ロランが女装するとき、驚くリアクションなしにいきなり衣装室に飛んだりしましたよね。あれが今言った映像の飛躍の仕方なんです。ただ、こう跳ぼうとしたときに、着替えのシーンもなくなるかも知れないって思ったのに残ったということは、足場をロボットものに取るのか、人の話に取るのかというバランス感覚の問題ですね。

──人間を見ている方が面白いとは言うものの、映画版の『∀』はメカ戦はメカ戦で、それなりにボリュームがあって楽しい、と思いました。その点、テレビシリーズよりも間口が広くなっているんじゃないでしょうか。
富野 そういう意味では、あまり破綻のない構成にまとめられたと思いますね。だけど、映画っていうのはあんなものじゃない、もう少し美しいものであって欲しいのに、そういう風に思えない作りになっているのが、どう考えても無念でならないんです。

 テレビとの比較で言えば、必ずしも毎週ご覧になっていない方で「キエルとディアナの関係は、テレビではよくわからなかったんだけど、『地球光』で本当によくわかって面白かった」という感想がありました。ディアナ以後は本当に面白い、ということなんですが、それ以前が余分じゃないかという発言も同時に出てくるんですよ(笑)。

──ディアナは強いキャラクターだから、画面の華みたいなものとして、集中して見やすくなるっていうことが、あるんでしょうね。
富野 まったくそうなんです。華もあるわけだから、映画としてのフォルムに関して、もう少し統制が取れたら名作になったのになぁ、というところがものすごく悔しいところですね。そうは言っても、ついこの間音のチェックがあって、2回ぶっ続けてで見たんです。半分以上寝るぞと思って少しは寝たんですが、予定通りに寝られなかった。結局2回見ちゃって、バカだなぁって(笑)。だから、きっとこの映画は面白いんだろうなと思いますね。

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このコラムは劇場版∀ガンダムwebに掲載されたものです。


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