富野道
インタビュー構成:氷川竜介、藤津亮太 収録日2001.10.22
──試写で拝見した直後に、内輪で映画の『風と共に去りぬ』みたいに話がバンバン進むねって話をしたんですよ。あの映画は、最初に結婚しますって言ったあと、最初の旦那が死にましたって2分ぐらいでどんどん話が進んで、テレビ放映だと予告編かと思うくらいなんですが、そういうタイプの映画ですよね。
富野 それほど正確には覚えていないんですが、3年ぐらい前、ちょうど『ターンA』の始まる頃に『風と共に去りぬ』はテレビで全部観まして、編集作業をする上ではかなり意識をしましたね。だけど、それでクラシックにのめり込んだら怖いな、とも思いましたね。手法というものは、うかつに真似をするとそれが臭うときがあるので、本当に気をつけました。

──手法ということでは、テレビが始まったとき、古典的なワイプ(ぬぐうようにして画面を転換する技術)が目立ちましたが、今回の映画では、あまり目立たないような気がしましたが。
富野 『地球光』で? 1話のワイプは全部使ってますよ(笑)。実は劇場の大画面で見ているときのワイプは、ものすごく目に優しいんです。今回改めて「すごいな、このワイプという処理は」と思いましたね。テレビの小さな画面で見ていると映像が記号的に見えるんで、ザッとやられるとワイプ(の移動する境界)が見えちゃうんですよ。大画面だと画面に感情移入している上に、それに速度感やテンポが合ってると気づかないんでしょう。だから、気持ちよく場面転換できるんです。

──切り替えが自然なんで、気づかなかったということだったんですか。
富野 それはテクニックのことだけじゃないんですよ。実は、音楽にも秘密があるんです。菅野よう子さんは、今言ったような細かいことは意識していませんが、本能的に音楽で感情を通すことで、場面転換を助けてくれているんです。むしろ音楽で情感を貫通していけばいくほど、カットつなぎの方がシャープすぎるんで、よほど上手にそのときの環境のリズム感に合わせていないと、シーン換えみたいなところがポンと見えちゃうんです。今回、本当に音楽が物語の情の変化によりそってくれて、画面のぶつ切り感を全部取っ払ってくれたのです。

──確かに、音楽で映画全体のブロック分けされていますよね。だから見やすいんでしょうね。

∀の風を聴く、サウンドトラックアルバムは全3巻(発売:キングレコード)。
劇場版サントラも菅野よう子プロデュースで2月6日発売。

富野 菅野さんの勘が本当にいいんですよ。粗編集したビデオを観て曲想を合わせてくれるんです。クライマックスの戦闘シーンのふたつのブロックでは、最初のダビングのときに菅野さんが来て、「あそこはああなって、ここのフレーズのところと、ここの頭が合ってるのよ」なんて言うんですね。それは僕の気持ちとはちょっと違うんですが、「じゃあねー」って彼女はパーッて帰っちゃう。「じゃあ、うるさいのがいないから、こっちのプランに戻そうか」って、やるとダメだと分かるので、彼女のセンスはすごいですよ。

 その辺に関しては、僕は勘なんか働かないんです。鶴岡音響監督の勘も良いし、菅野さんの感覚も若い。それは、理解するしないじゃなくて、そっちに寄り添った方が、きっと今の世代にはわかりやすいんだろう、ということもあって、ぼくはOKを出すのです。徹底的に不愉快であったり間違っていたら容認はできないけれども、10秒ぐらいのズレをこっちが我慢して済んじゃうんだったら、それでいいやっていう気持ちになります。現に他にも2、3カ所、こっちの感覚では許さないっていうところがありますが(笑)、もうそれはいい、と。

──最近、吉本隆明さんと大塚英志さんの対談の本で、「だいたいで、いいじゃない」っていう本が出ていますが、そういう感じでしょうか。
富野 そうそう、絶対そうなんですよ。現代の認識論が、あまりにもディテールやデジタルなものの整合性のところを気にしすぎていて、その思考回路はものすごく危険だというのは、『∀ガンダム』のこういうところにもよく現れているわけです。

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このコラムは劇場版∀ガンダムwebに掲載されたものです。


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