富野道
 
インタビュー構成:氷川竜介 収録日2001.12.19
──今回は、『∀と食事』というテーマでお話をうかがいたいと思います。作中、3人が地球に降りてきて職業に就くとき、ロランの運転手とフランの新聞記者はなんとなく判るんですが、キースが「パン屋」というのが面白いですよね。

怪我をした親方にかわって店を守るキースは、ムーンレィスの注文で初めてケーキをつくる。(第7話)
富野 「パン屋」というのは、合議制の中でシナリオライターの中から出てきた提案だったと思います。ただ、パン屋を選んだことに嫌悪感がなかったのは簡単なことで、やはり原理原則の問題と関わっているからなんです。健康であるためには、ものを食べなければならない……その骨幹になる部分を押さえる、という意味なんです。パンをつくるということは、日本で言えば「米作り」みたいなものだということですし。

 キースの職業をSF作品の中で成立させるときに、一軒のパン屋だとちょっと似合わないなと思ったんで、チェーン店の主人にしようと言い出したのは僕でした。「チェーン店をつくってみせる」というセリフさえあれば、運営のためには畑まで押さえなければならないだろうし、キースはきっとそういうこともやるだろうと思いましたから。

 こういったことも、∀を覆っている原理原則の部分だと思います。僕自身は、ものを食べることがあまり好きじゃないんで……。

──好物はないんですか? 洋食、和食どちらが好きとか。
富野 ないですね。好みがいっさいないんです。食べ物に蘊蓄を傾けるのも、僕は大嫌いなんです。昼食も今や週に2回はお赤飯にお塩ですよ(笑)。この年齢になると、食生活にリバウンドを感じるんです。つまり、不健康なものばかりを食べていた、という反省があるんです。現代社会では高カロリーのものを食べさせられ過ぎていると思いますね。かつては「ぜいたく病」だと言われた痛風が30代にかなり増えていると聞きますし。

──子どもが、成人病のはずの糖尿病になるくらいですよね。
富野 これだけグルメものを通じて食べ物が話題になる一方で、なぜそういうことが起きるのかが判らないんです。やはり、ものの考え方や感じ方が偏り過ぎているからなんでしょうか。その偏りをもとに戻そうとすると、『∀』のように原理原則に戻ってつくるしかありませんでした。その中で、主人公のひとりがパン屋をやるようになった──それだけのことです。

 人間の身体は、これから100年、200年経ってもそれほど変わるとは思えません。そうであれば、安定した給料をもらいたいという大人社会の都合だけで、高カロリー食品ばかりつくって子どもを糖尿病にしたりするのは、みんなそろそろヤバいんじゃないかと気がついて、原理原則に立ち返った社会構造をつくっていくことを考えて欲しいです。

──いまの子どもは、食べ物の原材料をぜんぜん知らないとも言いますし……。
富野 数年前までは、鮭の切り身が水族館で泳いでいるというアイデアのギャグ漫画は笑えたんですが、いまや本気で信じる人が出てくるかもしれないくらい、怖い状況です。これだけラップで何でもなんでもきれいに梱包できて、流通機構が発達してしまった日本で、そういうものを使わないで済む生活は、これ以後は意識していかないと、手に入れられないだろうと思います。でも、僕らの世代でも、本当の意味ではそういうものを知らないのかもしれません。かろうじて僕は子どものころ、熊の解体も見たことがあるし、中2まではニワトリの首を絞めた経験があるんですが、ああいったものをもっと知るべきなんじゃないかな、と思いますね。

──お肉を食べることにも、現実感が無くなっているということですか。
富野 そういったことを切り離したことで、人間の感覚、中でも死生観が狂ってきたという感じがしています。その狂いを正して原理原則に立ち返るには、教育や啓蒙といった大げさなものから始めるんじゃなくて、子どものときから楽しみの中で習いこんだ方が良いと思います。そういうときに、アニメや映画という媒体は、とても向いていると思えます。むしろアニメだからこそ、一般常識をやった方が良いのでしょう。たとえばファンタジー・ワールドであればあるほど、その物語の中で、食べるもの着るもの、そして人の暮らし方は重要になりますから。
 子どもたちのためにも、∀のような原理原則に触るような物語を、もっとつくっていきたいと思います。

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このコラムは劇場版∀ガンダムwebに掲載されたものです。


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